※ この記事は、X (旧ツイッター) で行われている#3000文字チャレンジの「本」をテーマで書いたものです。
「ブログ」という文字ベースのコンテンツを散々作っておきながらこんなことを言うのもアレですが、実は私、本を読むことはあまり得意ではないんです。
決して嫌いではないんですが、最近は特に読むのに時間がかかってしまって、途中までになっている本が増えました。
だから、基本的に私の記事は写真が多いんだと思います。
お世辞かもしれませんが、時々「Eri さんの記事は読みやすいです」と言われることがあります。でもそれは、私自身その方が読みやすいというのも反映されていると思うんです。
私の記事は画像の多さもそうですし、文字を太文字にしたりマーカー引いたりと装飾もバリバリで、視覚に訴えかけ作戦が多い自覚はあります。
そんな私が「3000文字チャレンジ」なんて装飾なしで文字だけを楽しもうというルールがある企画に参加して大丈夫なのか?とも思いますが、久しぶりに書きたい気分なので書きますね。
そう、別に文字だけの文章が嫌いなわけではないんです。
一度その世界に引き込まれると時の経つのも忘れて夢中になることもありますし、10代、20代の頃は自分の心の中で「とりあえず世間で名作と言われている本は出来るだけ読破しておこうキャンペーン」をしていたこともありました。
一冊の本を読み出すと、その本をきっかけに「次はあの本を読みたい!」とどんどんと次に読むべき本が出て来たものです。
でも今はどうでしょう。
思えば、私の場合は大人になるにつれ小説のようなフィクションよりも、実際に起こったリアルなノンフィクションの方を好むことの方が多くなった気がします。
絶望的環境の中から生き残った人の話とか、実際に現地に行って取材した人の話とか、もしくは体験ベースの話。そういう類の方が前のめりでグイグイ読めるんです。
少なくとも私の中では、同じ「本を読む」行為でも、フイクションとノンフィクションでは、全然違うものとして捉えています。
その違いは何なのか?と考えた時、大きいのはフィクションは作者がダイレクトに書いていない意図を読み取る能力が必要なのに対して、ノンフィクションは文字の通りに事実ベースの出来事として読んでいけば良いことではないかと。(もちろん異論はあるかもですが)
おそらくブログネタ探しのせいもあるんですけど、ここ数年は「どうせ」作り話を読むよりは、現実のことを知りたいという思考が加速していたかもしれません。
こう書いてしまうと、本好きさんに怒られてしまいそうですね。
でも、もともと私は色んな面に関してそういう傾向があると思います。
例えば、映画を観る時。
これは若い頃からなんですが、製作者の意図通り泣いたり驚いたりしてしまうと、謎に負けたような気持ちがして嫌でした。かわいくないですよね〜。
そして漫画やアニメなども、作品自体よりも制作秘話的なものが好きです。
作品観ていないのに解説動画観たりしちゃうこともあるんですが、アニメ映画こそ製作者の隠れた意図がたくさん隠されているので、先に知っておいた方が作品に触れた時により深く理解出来るかもなんて思ってしまいます。ネタバレは全然ウエルカム。
あ、ちなみに推理小説は終わりから読みたいタイプです。謎解きよりも、最初から犯人知っていて、だからこういう行動して、これが付箋だったのかと気付きたいから。
でも、思うんですよ。
フィクションを楽しめるのは、想像力や心の余裕があるからなんだろうなって。
そこで思い出すのが「サンタクロースの部屋」という本です。
これ、私が幼児教育を学んでいた短大生の頃に先生が勧めてくれた本なんですけど、1978年の出版以来読み継がれているロングセラーで、2015年には改訂新版も出てます。
私がこの本を初めて読んだ時、衝撃が走りました。
なぜなら、私はサンタクロースを信じたことが一度もなかったから。
ちょっと引用しますね。
『心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間をつくりあげている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。その空間がある限り、人は成長に従ってサンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎えいれることができる。』
サンタクロースは実際にはいない。その存在を信じていた子供たちも、いずれそのことを知る時が来る。だけど、サンタクロースを信じていたという事実は、その人の「信じる」という能力を養うだろう。
これ、多くの人が良い話だと思うのではないでしょうか。
でも、うちの親はサンタクロースなんていないのに子供に嘘を教えるのは嫌だったそうで、私は初めから「いない」と聞かされて育ちました。
クリスマスプレゼントは、クリスマスの1ヶ月前になると親にデパートへ連れて行ってもらって、自分の欲しいものを選ぶといった具合。
ということで、子供の頃はクリスマスが近づくと「今年は何を買ってもらおうかな?」とワクワクしました。
そして、早く棚の上に保管されてるきれいにラッピングされたプレゼントを開けたくてたまらなかったのを覚えてます。自分で選んだので、中身は知ってますから。
それはそれで楽しい思い出ですが、サンタクロースを信じているという子たちに対して、私はわりと冷ややかな気持ちを持ってました。
信じている子は本当に信じてるので、それで言い合いになったこともあります。今思うと嫌な子供ですよね (汗)
まあ、そういう経験もあるせいかかは分かりませんが、今でもプレゼントはサプライズよりも一緒に選びたい派です。
だから、想像の世界を楽しむ能力に欠けている面もあるのかもなあって思わないこともないような…。
いや、でもちょっと待てよ。
小学校の頃、妖怪とか魔法とか、そういうのは信じてました。
当時流行ってた魔法少女系のアニメの変身グッズで遊んでましたし、ごっこ遊びは大好きだったと思います。
怖い話とか妖怪とか、超常現象みたいな嘘か本当か分からないような不思議な話なんて今でも大好き……って、あれ?これはどっちかと言うと感覚的にはノンフィクション好きになるんでしょうか。都市伝説とかって、現実と想像を行ったり来たりしますからね。
そういえば先日、オーストラリアでも世代を超えて読み継がれている児童文学に改めて触れる機会があったんです。
メイ・ギブスさんの書いた『スナグルポットとカドルパイ』という冒険物語。
今読んでる途中なんですが、考えてみれば物語を楽しむというよりも、オーストラリアの子供たちはどんな話で育ったんだろうという視点で考えていました。そして、これもあわよくばブログネタにしようと。
だけどこの間、著者の「私が作った物語で楽しんでくれる子供を想像すると幸せだった」という言葉を読んで、はっとしました。
純粋に物語として楽しんで読もうって、ちょっと反省 (?) したんですよね。
そういう話を楽しめる感性があるって素晴らしいことだと思います。
歳を取ると頭が固くなってだんだん難しくなる気もしますが、想像力があれば何でもないことが楽しくなることも多いですし、人を思いやるのも想像力です。
昨今の殺伐とした SNS なんかを見てても思いますが、心の中にそういうスペースがあるということは、大事なことなんでしょうね。
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